2010年9月30日木曜日
お彼岸(続く)
懇意にして頂いていたTさんがHさんと一緒にお墓参りに来てくださった。Tさんはご長男一家がブラジルに転勤して1年半。日航のブラジル直行便が今月で廃止になる前に急遽訪問してきたことでお彼岸に少し遅れてお出で頂いた。Hさんといつも一緒に来てくれる。これは裕子が催していた「」という絵の会で仲間になったご縁である。個別にはお付き合いいただいていたのだったが、こうした縁で一緒にお参りに来てくれる。この日は真紅やピンクのコスモスを持ってきてくれ、墓前に飾った。秋風に揺れて青空に映え清々しい感じだった。自分も含めて「晴れ男・晴れ女」を自慢しあったことが思い出され、ひとしきり話が盛り上がった。
2010年9月19日日曜日
お彼岸
お墓を建てて初めてのお彼岸。きれいに晴れ上がった秋空の、まだ今年の暑さをたっぷりと盛り込んで、お彼岸はやってきました。金沢から義弟夫婦が来てくれ、それではとそれにあわせて息子たち2人が家族で集まってくれた。総勢8人。あと1ヶ月するとここにもう1人加わる。さぞ喜んでくれたことと思う。墓所の開けた空間は開放感がある。緑に囲まれて風が通り、気持ち良いでしょう・・・と声をかけたくなった。ここにご近所の仲良しだったYさんがお墓を建ててくれるという。仲間が集いあって賑やかになれば更に嬉しいのですが。
2010年9月17日金曜日
Yさんの墓参
お彼岸前の9/12にご近所のYさんに墓参いただいた。家から近いので驚いたり、また、環境の良さに心が動かされたようだった。ひょっとしたら、先々でもご近所さんになれるのかもしれない。そういう感覚に不思議も感じる。
2010年8月22日日曜日
2010年8月18日水曜日
アジサイ
水彩画のF先生からアジサイの絵を頂く。以前から1枚、仏前に差し上げたいとの申し出は頂いていた。4月のグループ展に出品されていた1枚が実はその候補のものだったのですが、展覧会を見に来られていた老人が奥様に見せていやりたいと所望されてそちらにお譲りした経緯があった。家内と先生が真覚寺で出会い、それが現在の輝水会につながった。今や60名を超える会員数のクラブになった。そのご縁の花がアジサイの花だったのだ。2008年6月発病する1週間前に高幡不動で描いたのもアジサイだった。その時はできが良くて、先生から「そのまま、描き足さないでよいよ」と褒めてもらい、得意満面で帰ってきたとのことをいつも思い出す。そうだ!命日は「紫陽花忌」とでも名付けようか。来年の3回忌に話ししよう。できればその時のお友達とともに偲べれば良いなぁ・・・
2010年8月13日金曜日
新盆
お盆は一体、新暦でやるのか旧暦でやるのが正解なのだろうか?
新暦なら7月15日。そして去年はそれだと49日前であり新盆にはならないと言われた。新盆は来年ですね。その今年の7月15日、自分は何をしていたのか思い出せない。その頃もしきりにどちらの暦でやるのかなぁということだけはしきりに気になっていたのでした。そして結局7月15日は何もしなかったような気がする。ならば今度の旧盆の8月15日は何かメモリアルをしなくては。
子どもたち、長男は8日に、次男は12日に来てくれた。そして一緒に墓参りに行ってきた。毎回行く道すがら有料道路が無料になって便利に行けてよかったなぁ、ということと都営の墓地を棄権して正解だったなぁということを思う。墓地にたたずんで周りの緑に目をやるとホッとする。この眺めもまずまずだ。満足してくれるはずだ。」そして自分もいずれここに納まるのだと思う。まぁ、良いか!
新暦なら7月15日。そして去年はそれだと49日前であり新盆にはならないと言われた。新盆は来年ですね。その今年の7月15日、自分は何をしていたのか思い出せない。その頃もしきりにどちらの暦でやるのかなぁということだけはしきりに気になっていたのでした。そして結局7月15日は何もしなかったような気がする。ならば今度の旧盆の8月15日は何かメモリアルをしなくては。
子どもたち、長男は8日に、次男は12日に来てくれた。そして一緒に墓参りに行ってきた。毎回行く道すがら有料道路が無料になって便利に行けてよかったなぁ、ということと都営の墓地を棄権して正解だったなぁということを思う。墓地にたたずんで周りの緑に目をやるとホッとする。この眺めもまずまずだ。満足してくれるはずだ。」そして自分もいずれここに納まるのだと思う。まぁ、良いか!
2010年8月7日土曜日
原爆の日
8月6日。6日は家内の命日でもある。たまたま週1回の仕事だったので家に帰り着いたのは19時15分頃。郵便ポストを探ると夕刊やダイレクトメールと一緒に暑中見舞いが1通あった。家内の学友であったKさんからだった。この方との家内の生前の付き合いを余り聞いていなかった。茶道部で一緒だったらしい。病気療養中も折に触れお便りをくれ、亡くなった後もお見舞いの手紙やらお花などを贈ってくれる。今年の遺作展で初めてお目にかかった。その方からの暑中見舞い。「色んな行事をこなされて、安堵と共に心淋しいでしょうがそれが後に残されたものの役割」という文章の1節が心に響く。テレビの原爆特集番組をいくつか見ながら、先立った者への想いの大きさは何年経っても変わらないのかもしれないなぁ・・・と一人言した。
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